2013年11月3日日曜日

艦これだ!! 戦艦 霧島

霧島は金剛型戦艦の4番艦。同じ金剛型3番艦の榛名と共に、川崎造船所で建造された初の民間造船所で建造された純国産の戦艦として有名です♪

1912年3月17日、巡洋艦として前日に起工した榛名と一日遅れで三菱合資会社三菱造船所で起工。
1913年12月1日進水
1915年4月19日佐世保鎮守府所属として就役

1930年に第一次近代化改装、1936年に第二次近代化改装を受けています。
第一次近代化改装では装甲の増設などで全幅の拡大がなされ、階層によって機関出力が向上したにも関わらず、速力は低下してしまいました。
第二次改装では装甲防御、機関の換装により改装前の倍近くの、136000馬力へと強化され約30ノットの高速を発揮する高速戦艦として生まれ変わりました。

1942年11月15日、第三次ソロモン海戦にて米艦隊と交戦、米戦艦ワシントンからの集中砲火を浴びて操舵不能となり、左に旋回を続けながら戦列より離脱。
消火に成功するも被害は甚大で、艦長は自沈処理と総員退艦を下命。
1時30分、サボ島西方11マイルの地点に、左舷後部から海中へと没しました。

艦長
・釜屋 六郎 大佐
・志摩 猛  大佐
・松村 純一 大佐
・中村 正奇 大佐
・三村 綿三郎 大佐
・勝木 源次郎 大佐
・横尾 尚   大佐
・安村 介一 大佐
・寺岡 平吾 大佐
・安東 昌喬 大佐
・坂元 貞二 大佐
・藤田 尚徳 大佐
・加藤 隆義 大佐
・本宿 直次郎 大佐
・岩村 兼言 大佐
・古川 良一 大佐
・井上 謦治 大佐
・広田 穣  大佐
・藤沢 宅雄 大佐
・菊野 茂  大佐
・宇野 積蔵 大佐
・北岡 春夫 大佐
・高橋 伊望 大佐
・丹下 薫二 大佐
・三川 軍一 大佐
・牧田 覚三郎 大佐
・金沢 正夫 大佐
・多田 武雄 大佐
・久保 九次 大佐
・友成 佐市郎 大佐
・白石 万隆 大佐
・山口 次平 大佐
・岩淵 三次 大佐

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こちらは2艦セットみたいですね^^ソロモン海戦時の、比叡とのセットです。
艦これでは私はまだ比叡はレベルが上がっていないのでいまいち使いにくい感じではありますが・・・w

「蒼き鋼のアルペジオ」では前回、霧島と榛名が横須賀攻めて、返り討ちにあってましたね。。
2艦で大きな砲になったときはビックリしましたがw
戦艦って、前から見ると結構横幅があるじゃないですか・・。。。
昔はあれがダメだったんです。もちろん横から見ると長いしでかいしwかっこよくて好きだったんですが、前からがダメだったんですよね~~^^;
でも今はかなり好きですww
かっこいい^^

アニメでも榛名と霧島が並走しているシーンなんかは壮観です^^嗜好って、やっぱり変わるものですね☆

それこそ昔は絶対的に戦艦なら大和が好きだったんですが、最近は他の艦も好きです♪金剛にしても、榛名にしても霧島にしても。。
なんか艦船プラモは最近高い気がして^^;駆逐艦すらなかなか気軽に買えないですもんね~^^;昔はもっと安かった気がしたんですが。。

また戦艦モデルも作りたいな☆
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2013年10月29日火曜日

艦これだ!! 重巡洋艦 愛宕(あたご)

 
 

「艦これ」の中で結構お気に入りが 「重巡洋艦 愛宕」です^^
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「ぱんぱかぱ~~ん!!」の彼女ですねwwコスプレとかほぼ興味はないですが、愛宕・高雄のこの青いコスチューム、かわいくないですか?


写真は日本海軍の重巡洋艦。本物の愛宕です^^

重巡洋艦 愛宕

高雄型2番艦。呉海軍工廠にて建造されました。艦名の由来は京都の愛宕山です。
工事が急ピッチで進められたため、1番艦の高雄よりも早く完成し、高雄型重巡洋艦を愛宕型と呼ぶこともあるそうです。

上の写真は近代化改装後の愛宕。昭和14年11月に横須賀軍港で撮影されたものだそうです。

昭和7年、3月30日に就航しました。4月16日には犬養首相を端円とする政府高官を乗せて東京港を巡航しました。
同年12月、2代目艦長の高橋伊望大佐の指揮下、第2艦隊第4戦隊に編入されました。

昭和8年8月26日の、横浜沖で行われた観艦式には昭和天皇が乗艦する戦艦比叡の供奉艦として参列、
昭和11年10月には昭和天皇が乗艦し、江田島に入港、兵学校行幸を行いました

昭和13年4月には近代化改装が行われ、翌14年10月に工事が完了。昭和16年10月に重巡洋艦「摩耶」に代わって第2艦隊旗艦となります。
11月29日呉を出港すると12月2日には台湾の馬公に到着、2日後の4日、重巡洋艦 高雄・戦艦 金剛・高速戦艦 榛名を従えて出港、日米開戦に向けて配置に着くことになります。

12月8日の開戦時、愛宕は南方海上にいました。ここでの最大の脅威は英国東洋艦隊の戦艦「プリンス オブ ウエールズ」と巡洋戦艦「レパルス」。
この2艦、アニメ「蒼き鋼のアルペジオ」の霧の艦隊にも出てますよねw
9日、マレー沖海戦でこの2艦を退けると11日にはカムラン湾に入港、鳥海を旗艦とするマレー部隊と合流し、マレー作戦や蘭印作戦を支援しました。

その後も東南アジア海域で行動を続け、昭和17年6月5日ミッドウェー島近海に進出、南雲機動部隊の壊滅の報と撤退命令を受けて変針。途中、大破した重巡洋艦 最上と合流して呉に帰港しました。

8月には今度はソロモン諸島周辺にて行動をします。
8月  第4艦隊・第5艦隊・水上機母艦 千歳・第9駆逐隊(朝雲・夏雲)と共にトラック泊地を出港、第2次ソロモン海戦に参加

11月 第4戦隊・第3戦隊(金剛・榛名)・第11戦隊(比叡・霧島)・第3水雷戦隊(軽巡 川内・第6駆逐隊・第15駆逐隊・第11駆逐隊)・第2航空戦隊(隼鷹)と共にガダルカナル方面へ出港

昭和18年11月 ブーゲンビル島逆上陸作戦支援のため高雄・摩耶・鳥海・鈴谷・最上・筑摩・能代・駆逐艦4隻を率いてラバウルへ進出。

昭和19年には再びトラック島へ進出

5月 タウイタウイ泊地へ移動、第1機動艦隊前衛部隊の旗艦になります。

6月 マリアナ沖海戦に参加

そして10月22日、第2艦隊(第1遊撃部隊)旗艦としてブルネイを出航、レイテ沖へ向かいます。23日にはアメリカの潜水艦ダーターに発見されます。
午前6時53分、ダーターの魚雷が命中し(命中は32分)転覆、沈没しました。


排水量 12214トン  ・ 出力 135000馬力  ・ 速力 35.2ノット
近代化改装後は 速力が34.2ノットになっています。

重巡洋艦 愛宕  歴代艦長
・佐田 健一 大佐
・高橋 伊望 大佐
・宮田 義一 大佐
・園田 滋  大佐
・鈴木田 幸造 大佐
・伊藤 整一 大佐
・五島 存知 大佐
・奥本 武夫 大佐
・坂野 民部 大佐
・蓑輪 中五 大佐
・高塚 省吾 大佐
・河野 千万城 大佐
・小柳 富次 大佐
・伊集院 松治 大佐
・中岡 信喜 大佐
・荒木 伝  大佐

艦これでは私の第1艦隊に編入されてますww装甲・火力ともに結構使えてかなりお気に入りです^^

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昔、ウオーターラインシリーズは駆逐艦をよく作りましたが、重巡や戦艦は高くて買えなかったんですよね^^;それでも駆逐艦は塗装こそしませんでしたが釣り糸を使ってアンテナ線を付けたりしてました。本来は伸ばしランナーでやる方がいいみたいですね^^私は伸ばしランナーは苦手なので釣り糸でやってましたが接着がなかなか曲者でw大変だったのを覚えています。。

その頃は駆逐艦の魚雷管が好きでwその都合で金額の安い駆逐艦だけで良かったんですねw
今度余裕が出来たら高雄型4姉妹を作って並べたいな☆

2013年9月8日日曜日

1/35 ドイツ戦車兵1943年7月 クルスク戦線離脱

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(2013/9/8 21:18時点)
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第2次大戦中の東部戦線において、1943年7月4日~8月27日、ドイツ軍のツィタデレ作戦によって赤軍との間で行われた戦闘がクルスクの戦いです。両軍合わせて6000輌以上の、史上最大の戦車線でした。

ドイツ軍配置
・中央軍集団(北部よりクルスク突出部を攻撃)
 ・第9軍
  ・第46装甲軍団
  ・第47装甲軍団
  ・第41装甲軍団
  ・第23軍団
 ・第1航空師団
・南方軍集団(南部よりクルスク突出部を攻撃)
 ・第4装甲軍
  ・第52軍団
  ・第48装甲軍団
  ・第2SS装甲軍団(ダス・ライヒ)
 ・ケンプ軍支援
  ・第3装甲軍団
  ・ラウス軍団
 ・第8航空軍団

ソ連軍の配置
・第1線(前線配置)
  ・第48軍
  ・第13軍
  ・第70軍
  ・第65軍
  ・第60軍
・第2線(後方配置)
  ・第2戦車軍団
・作戦支援
  ・第16航空軍
・方面軍予備
  ・1個騎兵軍団
  ・第9戦車軍
  ・第19戦車軍
ヴォロネーシ方面軍(クルスク突出部の南部に配置)
・第1線(前線配置)
  ・第6親衛軍
  ・第7親衛軍
  ・第38軍
  ・第40軍
  ・第69軍
第2線(後方配置)
  ・第1戦車軍
作戦支援
  ・第2航空軍
・方面軍予備
  ・第35親衛狙撃軍団
  ・第2親衛戦車軍団
  ・第5親衛戦車軍団
ステップ方面軍(後方の予備)
  ・第5親衛軍
  ・第27軍
  ・第47軍
  ・第35軍
  ・第1機械化軍団
  ・第4親衛戦車軍団
  ・第10戦車軍団
  ・3個親衛騎兵軍団
  ・第5航空軍

十分な防御態勢を整えて待ちかまえ、ドイツ側に損害を与えた赤軍ですが、ドイツ軍を上回る損害を受け、特に南部ではドイツ軍の突出を許し、プロホロフカで消耗したステップ方面軍は危機的状況にありました。
しかし、赤軍が北部において逆攻勢「クツゥーゾフ作戦」を開始したことと、米英軍がシチリア島へ上陸を開始したことで、ヒトラーはイタリアの枢軸離脱、地中海戦線の崩壊の危機を恐れ作戦はわずか1週間で中止となります。
しかしマンシュタインは南部の構成をヒトラーに承諾させ続行。
7月17日にイジュームとミウスの防御線が突破され、部隊の派遣のためついに中止しました。

後衛戦闘をおこないつつ撤退したドイツ軍に対し、赤軍は予備兵力をまとめて反撃を開始。これにより、前線で修理中のドイツの損傷車両で後送の間に合わないものには自爆の指示がだされ、全損車両の台数がかなり増える結果となります。
ドイツ軍は秩序立った後退と兵力温存に成功はしますが、天然の要害ドニエブル川の渡河を許してしまい、クルスク進撃どころか要衡キエフまで奪回されます。

クルスクの戦いは独ソ戦でドイツ軍が攻勢に回った最後の大規模な戦闘であり、これ以降独ソ戦の主導権は完全に赤軍の物となったのです。

2013年9月6日金曜日

1/35 Ⅳ号D型戦車

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(2013/9/6 17:41時点)
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Ⅳ号戦車
第2次世界大戦時のドイツの中戦車です。

ナチスが政権をとる前から、ドイツ国防軍はヴェルサイユ条約下でひそかに、再軍備を見据えた新型戦車の開発を行っていました。

装甲部隊の創設者、ハインツ・グデーリアンによって求められた戦車の仕様は2種類で、主力戦車として開発されたⅢ号戦車と、ベグライトヴァーゲン(随伴車両)と呼ばれ支援戦車として開発されたⅣ号戦車がそれです。

4社による競作が行われ、1936年4月に完成したクルッフ社の車両を基に増加試作車的なA型に次いでB・C型が作られ、1939年からD型が量産されました。

その後も戦局に応じた改良がなされ、最終型は長砲身の75㎜砲を搭載したJ型です。

Ⅳ号はドイツ戦車の中でも最も生産数が多く、改良が限界に達した大戦中期以降も主力として敗戦時まで使用され続け、ドイツ戦車部隊のワークホースと呼ばれました。

ドイツ陸軍兵器局はT34-85・IS-2・M4中戦車(76.2㎜M1搭載およびシャーマンファイアフライ)との算定で、Ⅳ号はあらゆる比較項目で圧倒されているという結論に至っていましたが、すべての生産ラインをパンターに切り替える余裕はなく、またグデーリアンの強い反対もあって本車の生産を中止することはありませんでした。

同盟国などにも輸出され、G型以降がイタリア・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリア・フィンランド・スぺイン・トルコの各軍に配備され、戦後もしばらくは使用されていました。
チェコスロバキアが保有していた中古を購入したシリア軍のⅣ号戦車が中東戦争において、イスラエル国防軍のセンチュリオンと交戦した記録が残っています。


バリエーション
A型      先行量産型。当時としては強力な、短砲身24口径75㎜砲を搭載。
         エンジンはマイバッハで最大速度は32.4km/h,車長用キューポラはⅢ号B型と
         共通でした。慢性的な戦車不足の状況で、バルバロッサ作戦当時もまだ少数が
         配備されていました。生産はすべてクルッフ社

B型・C型   砲塔、車体装甲が強化されました。車体前方機銃がなくなり、ピストルポートが
         設置されています。

D型      車体前方機銃が復活。装甲もさらに強化されていますが防御力は不十分で、
         1940年4月以降から増加装甲が取り付けられるようになりました。
         熱帯用にエンジングリルを改造されたり、残存車両の主砲はすべて1942年7月
         に48口径に改修されました。

E型      ハッチの形状など、細かい変更と、前面装甲の強化。

F型      車体形状を変更、増加装甲を廃止した代わりに基本装甲を強化、履帯幅が400
        ㎜になります。
        生産途中から長砲身の75㎜砲搭載のF2型に変わったため、短砲身としては最後
        の型になります
        F2型はイギリス軍からマークⅣスペシャルと呼ばれていました。

G型      F2型が改称されたものです

H型      新型変速機を搭載。その他細かい改修がされました

J型      生産の簡略化に重きを置いた車両。旋回装置の手動化等は、乗員から不評だった
        ようです。


大人気アニメ、「ガールズ&パンツァー」で主人公たちの乗る車両がⅣ号ですね。今まで短砲身の戦車ってあまり興味がわかなかったんですが、ガルパンの影響でⅣ号はかなりのお気に入り戦車ですw

2013年9月4日水曜日

ドイツ軍 1/35 BMW R75 サイドカー

価格:830円
(2013/9/4 19:52時点)
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第一次世界大戦に敗れたドイツは、ヴェルサイユ条約により将兵の数を10万人に制限された上、戦車・装甲車の装備を禁止されていました。

そんな中、ドイツ国防軍は騎兵伝令や自転車伝令の後継車としてオートバイに着目していました。

ハインツ・グデーリアンらが提唱する戦闘部隊の機械化は乗用車、輸送用トラック、オートバイの装備に力を注ぐことからはじめられたんです。
中でもオートバイは比較的経費がかからず、民間用に開発されたものをそのまま流用できるという強みがあったんですね。

ハインツ・グデーリアンが記したところでは
「私が大隊長になったプロシャ自動車第3大隊は4中隊から成っていた。第1中隊は装甲偵察車、第2中隊が装甲車、第3中隊が木製模擬砲つきの装甲車中隊で、経費節約とベルサイユ条約の制限から、すべて模擬装甲車両を使用した。この中で完全に正規の器材と機関銃を備えていたのはオートバイ中隊だけであった」
とあります。

このオートバイ中隊は単なる伝令兵としてだけでなく、1934年~35年にかけては初期の戦車部隊同様に、騎兵に代わって陸の主役となっていきました。
戦争がはじまるとオートバイ部隊はエリート部隊として前線を走り回り、常に機動部隊の先頭に立ってその優秀性を発揮しました。

1942年にはオートバイ部隊にはシュビムワーゲンや装甲車、戦車までもが装備され、偵察大隊の主役となり、1943年には戦車躑弾兵師団の1部を構成するまでに発展していきました。

サイドカーにはMG34を装備、時には迫撃砲までも搭載して攻撃の先頭に立ちます。
このR75はヒトラーを護衛するナチス親衛隊にも使われ、特にロンメル将軍率いるアフリカ軍団で多数が採用されました。

R75は1940年秋から生産が始まり、終戦までに約16500台が戦場に送りだされました。

ちなみにソ連陸軍が使用していたサイドカー付きのK-M72型オートバイは大戦中に捕獲したR75を完全にコピーしたものだったそうです。


アニメとかにもたくさん出てきますよね。映画にも。。
時にはサイドカーに将校を乗せていたり、時にはサイドカーの座席いっぱいにアーモボックスやジェリカン、その他の荷物を積んで出てきます。
ただ、あまりこの車両で戦闘を行うシーンのある作品がないのがちょっと残念ですかね。ガンダムでいうところの、ジオン軍のワッパみたいな立ち位置でしょうか。

戦闘中のジオラマはもちろん、とりあえず戦闘が終了し、まだ煙の残る街のジオラマ、進軍、偵察、どんなシーンでも使えるキットですね^^

私的にはこのオートバイ、ブレーキレバーが一番の特徴で、かわいいと思っているんです。今のバイクと、取り付け方向が逆なんですよね。このレバーがないとなんだか残念に思ってしまうんです。
タミヤのこのキットでは、このレバーが付いてないんですよ^^;ついでに言ってしまうとマフラー部分とエンジン部分が完全に独立しちゃってるんです。要するにエキパイがないんですね。。

昔作った時はそんなこと気にもせずに組みましたが、今は気になって仕方がなく・・・・。自作してみたんです。何を使ったかって?

実は、ドラゴンのⅠ号戦車の履帯が余ってたんですよね。この履帯パーツの左右部分を切り出すと、ちょうどいい感じになるんですw
同じパーツをもう少し短くして、ついでにプラグキャップも作っちゃいましたw
エキパイはランナーを曲げて作るのがいいんでしょうが、私はコードを使いました。

・・・と、自分の趣味を書いちゃってますが^^;
そのまま組んでも、もちろんすごくかっこいいキットです。ただ、改造もやりたい放題出来るキットですね♪それだけに初心者から上級者まで、オールラウンドに楽しめるキットだと思います^^

自分が今制作しているものはジャーマングレーで塗装する予定ですが、ジオラマは「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の、セーズの街の一部分にしようと思っています。軍服をヘルべチア軍にしたり、フィギュアの顔をクラウス少佐にしたりは当然出来ないのでそこは手を抜きますがwww
コミックではクラウス少佐の愛車はキューベルワーゲンなんですが、アニメではサイドカーなんですよね^^

とりあえずの組み立てまでは完了してますが塗装がまだなんです。。いかんせん小さいのでエアブラシは難しそうですが筆では出せない感じの色合いにしたいので気合でやるしかないですね!

さて、どうなることやらw



2013年9月2日月曜日

1/35ドイツ兵 オペレーション・タイフーン 1941

価格:977円
(2013/9/2 21:23時点)
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モスクワの戦い

1941年10月2日より行われた、ドイツ軍によるモスクワへの攻略戦が「オペレーション・タイフーン」です。
バルバロッサ作戦の第2段階として敢行されました。

ハインツ・グデーリアン率いる第2装甲集団は9月13日、突如北東へ向かいソ連軍の防衛線から120kmほど離れたオリョールを目指しました。
10月3日にはオリョールを落とし、同時にブリャンスクを攻撃。さらにヘルマン・ホト率いる第3装甲集団、エーリヒ・へープナー率いる第4装甲集団がモスクワ真西に位置するヴャジマ方面を突破。
ブリャンスク周辺とビャジマ周辺に2つの包囲網を形成し、相当な戦力を有するソ連軍を壊滅させ、事実上ソ連第19軍を主力とする西部戦線司令部を機能しない状態にまで追い込みました。

10月14日には第3装甲集団はヴォルガ川を渡河し、モスクワとレニングラードを結ぶ鉄道を断ったほか、10月末にはグレーリアンの部隊がトゥーラ近郊まで到達することに成功しました。

モスクワ陥落の危機に、スターリンはレニングラード攻防戦をひと段落させたゲオルギー・ジューコフに首都防衛を命じます。同時に国防委員会は政府機関や工場をウラル方面へと疎開させ、モスクワ市民を中心にドイツ軍に立ち向かわせ、冬将軍の到来までできるだけ長くドイツ軍を足止めする作戦を実行します。
周辺の士官学校生や、コムソモール員から成る共産主義者義勇団等を大量動員し防衛前線への人員補充に当てました。

第2SS躑弾兵師団ダス・ライヒと第10装甲集団はモジャイスク周辺でソ連軍の反撃を受け、突破した部隊も進撃の勢いを失うと、10月に入りついに天候が悪化。

ここからは厳寒に対しての装備不足などによりドイツ軍がどんどん押されていくのは有名な話ですよね。
12月5日、モスクワ攻略の続行不可能が明白となり、ブラウヒッチェ、ボック、レープ、ルントシュテット各元帥と、ホト、へープナー、グデーリアン各大将と35名の将軍更迭をもって作戦は失敗に終わりました。


キットの兵士4体はそれぞれが当時の典型的な冬服を着た、冬季装備なんですね。それぞれ違う服装なのが印象的です。
ドイツ軍って、みんな同じ戦闘服でってイメージですが、それがこれだけちぐはぐになっても見れるからすごいですよね。
冬の厳寒を感じさせるポーズなので、雪の中で朽ちていく戦車のジオラマに合わせたりするといいかもしれませんね。

1/35ドイツ兵 ハリコフへの進軍 1942(ドラゴン)

価格:1,134円
(2013/9/2 17:49時点)
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第2次ハリコフ攻防戦は1942年のスターリングラード攻防戦に繋がります。ドイツ南方軍集団はブラウ作戦を発動する予定でいましたが、事前攻撃としてソ連軍のハリコフ方面の突出部への攻撃を準備していました。

一方でソ連軍は、スターリンが幕僚の反対を押し切って5月12日、1月の攻勢でできていた南方のソ連側突出部と、北部のハリコフ周辺で攻撃を開始、ハリコフを奪回しようとしました。

しかしながら、ソ連軍はドイツ軍の反撃により包囲、殲滅され、貴重な戦車戦力を多数失います。

その結果南部戦線における軍事バランスはドイツ軍の圧倒的な優位となり、ソ連軍はヴォルガ川まで退却を余儀なくされました。


ハリコフとはウクライナ屈指の大都市。この都市の制圧を巡り、1941年ー1943年にかけて4度に渡りナチスドイツとソ連軍との戦いがありました。


ハリコフと言えば「ハッピータイガー」を思い出します。
正面に逆さ「福」の倒福マークのあるティーガーⅠ型戦車。所属するのはダス・ライヒ(第2SS装甲躑弾兵師団)でした。
物語の中で師団マークが決まるのですが、そのマークのモチーフがハリコフでの戦利品・「跳び跳ねる悪魔」の像でした。(作中の話です)


全体的に多少余裕が感じられるポージングがメインのセットですよね。戦略的に優位に立っているドイツ軍を表現するジオラマにはぴったりではないでしょうか。
ハリコフの破壊された建物の壁や道を表現したジオラマに合いそうです。BMW R75なんかも一緒に置きたいですよね^^